長さと音の関連性
カイザーゲージの登場で「長さ」と「音」の関係が大きくクローズアップされてきました。確かに「長」さと「音」には密接な関連性があることは認めますが(カイザーゲージの登場でより強く意識しています)「カイザー単位の活用」については、まだ検証が必要な段階だと思います。なぜなら「カイザー単位」を使用すれば「必ず音が良くなる」とは言えないからです。また「カイザー単位の説明」についても「大きな疑問」が残されています。私が感じる、現時点での「カイザー単位の説明に対する主な疑問点」は次のようなものです。
疑問点1)カイザー単位の「105p」と水の分子のHとOの結合角が「105°」で一致している。角度と長さの単位はその生まれから全く違います。角度“°”は円周を分割することで決められた単位で幾何学的数値です。“M”は、地球の子午線の極と赤道間の距離の1千万分の1から定められた地理的数値です。“105°”と“1.05M”が一緒になったとしても、単なる偶然以外の意味はありません。
疑問点2)オーディオワールドで音の良いスピーカーケーブルの長さを「1.95カイザー」としていた。1.95カイザーは204.75p(≒205p)で、どちらも端数ならわざわざ単位を置き換える必然性がありません。また、スピーカーケーブルをo単位の精度で正確に切断するのは不可能です。誤差が数o程度生じることを考慮すると、1.95カイザーという数値の有効桁数に疑問を感じます。そして「有効数字」を考慮しない「単位の設定」や「単位の運用」は、それ自体無意味なはずです。少なくとも科学的ではありません。
疑問点3)スピーカーのセッティングなどで「測定基準」が非常に曖昧。距離を算出するためには、二点をきちんと確立する必要があるにもかかわらず、「計り初め」と「計り終わり」が基準化されていません。長さだけ決めても「スタートとゴール」が明確化されていなければ「長さ」を「計る」ことが出来ず、運用できない単位の設定は、まったくナンセンスです。
疑問点4)ピアノの高い弦の長さの「平均が52.5p(1/2カイザー)」。ピアノの「音の高さ」は「ピアノ線の長さ」と「太さ」で変わるのに、「長さ」だけをクローズアップしても意味がありません。また「平均」ということは「例外がある」という事で、「例外を認めるなら単位として確立させる必然性」がなくなります。
疑問点5)結局、こじつけが全てを台無しにしてしまうのではないか?「例外」が一つでもあると「定理」とはなり得ません。確立していない「定理」にこだわるのは「視野」や「自由度」を損ねるだけです。もし現実にカイザー単位にこだわった結果「音が悪くなった」という例が存在すれば「音が良くなる事例」が数多く存在しても「単位として確立」することはできません。「不確定な単位」は「迷信」となって「音を良くする妨げ」となってしまいます。
科学的? 非科学的?
私達は「科学的/非科学的」という言葉を使います。では「科学的」とは一体どういう意味なのでしょう。言葉も数字もなかった時代、私達のコミュニケーションは非常に限られ、曖昧であったはずです。そのままでは情報のやり取りは混沌とし、文化も技術も進歩しなかったでしょう。そこで人類は「頭の中にあるイメージ(考え)」をより正確に伝えるため「言葉」を発明し、共通した数の指標として「単位」を確立させたのです。これらの広く共用できる「言語」や「単位(数字)」があって始めて、文化や技術は大きく進歩しました。
辞書を引いてみました。「科学的=ある事物に対する説明や行為が科学の方法に合っているさま。実証的、合理的、体系的で正確なさま。」と記述されています。また、「定理=定まった理屈・物事の道理」・「公理=一般に通用する道理・はっきりしている道理」とも書かれています。つまり「一般的に誰にでも解る、あるいは通用する理屈」の中で「はっきり目に見える形にして確かめることができる現象や理屈」を「科学的に証明された=科学的なもの」と呼ばれるのでしょう。
しかし、ここで注意して欲しいのは「科学的=正しい(善)」で「非科学的=正しくない(悪)」と短絡しないことです。天動説・地動説の教訓からも解りますが「今目に見えている=科学的に立証されている」ことが世の中の全てではありません。現在は「非科学的」だと思われていることでも、「立証する方法が見つかった瞬間」にそれは「押されぬ科学的な事実」として認識されることになるのです。はっきり立証できない事実から見ても「カイザー単位」は「非科学的」です。だからと言って「その存在が否定」されたり「その有効性が否定」されてはいけないし、その必要もないと言うことなのです。
頭を柔らかく視野を広く
話が理屈っぽくなってしまいましたが、私が主張したいのは「100%の精度で間違いなく利用できる理屈」と「そうでないもの」の「区別をハッキリする必要がある」ということです。言い替えれば「100%嘘のない事実」と「100%信じることのできない現実」を同一にしてはいけないのです。オーディオという趣味の中には「科学的という説明」や「科学(学術)で使用されるような用語を用いた説明」が溢れています。しかし、その中で「純粋に科学的なもの」はごく少数です。また、それらをまぜこぜにしてしまうから「オーディオは進歩が遅い」のだと思うのです。
技術者は「まだ確立していないこと」を「さも確立された事実」であるかのように「具体的な数字を示して」説明します。それは直ちに止めるべきです。確立されていない事実のいい加減な運用の最大の例は「測定値」と「聴感」を短絡させていることです。「測定値と聴感の関係」について「科学的に立証」された事実などまだほんのわずかです。科学的に立証されていない事実を学術的な手法で説明する。大メーカーの技術者が平気でそんなことをするからオーディオに関して「同じ真似をするような事例が多発する」ようになってしまったのではありませんか?
確かに「数値化」しなければ「説明し辛い」ことがあるのは事実です。しかし「あまりにもあやふやな事」まで「数値化」するのはいかがなものでしょう?人間は単純なもので「数字のように明確な指標」を提示されると、とたんに「その魔力に取り憑かれ」まるで「その数字が絶対的なもの」であるかのように、その数字に沿って「思考を限定」してしまいます。それは、はっきり有害です。
逆に「一切確立した指標を用いず効果や効力を説明」するのもどうかと思います。「気合い」とか「根性」とか「効果のはっきりしないもの」をさも確立されたものであるかのように説明したり、盲信するのもどうかと思います。そんなものを信じて「科学的に確立された事実」を否定し始めたら・・・、それもはっきり有害です。
つねに頭を柔らかく視野を広くして、フェアに物事を捉え考えることができれば、それが一番素晴らしいのだと思います。
長さと音の関係の確立
現時点で「カイザー単位」は、非科学的なこじつけの域を脱していません。しかし、「カイザー単位」がこじつけに見えようが、そうでなかろうが「長さと音質には密接な関連性がある」事に異論はありません。そこで、私なりに「長さと音質」の関係にこだわって成功した例を一つ紹介しましょう。それはRCAケーブル(AIRBOW MSU-095WE)の長さです。このケーブルを設計する時に「現在の音程の基本周波数が優先して通過するようなケーブルの長さ」を計算で求めました。なぜなら「基本周波数のエネルギーが通過しやすく」そうでない「周波数のエネルギーが通過しにくい」ケーブルを設計できれば、「倍音と非倍音を整理し、音を良くする効果のあるケーブル」が実現すると考えたからです。
計算で求められた長さは「約95p」でした。実際に長さの異なるケーブルを製作して実験した所「計算値を中心に±数oの誤差」で「音質が格段に向上する」ことが発見できました。「長さと音の関連」が私にとって「事実」となった瞬間です。また「科学的な計算によって求められた長さ」が「実験結果と一致」した瞬間でもありました。しかし、この「95p±数o」という数字は、このケーブルに固有の数値で「全てのケーブルに共通する」わけではありません。また、ケーブルを通過する信号の種類(交流・音声・デジタル)により、長さのチューニングは変わると考えています。
私はこのように「長さと音の関係」は「物質の種類や状態によって変化する物理現象に帰因する」と考えています。それに対して「カイザー単位」は「あらゆる条件下で通用する絶対単位」であると主張しています。考え方の違いですが、前述したように「私達が未だ科学の力で解明することのできていない何か」が「カイザー単位」によって証明されるかも知れません。また、もしかすると「今回は計算と実験がたまたま一致した」だけかも知れません。それらの検証と証明は、今後の課題だと思います。