ステレオ方式の行き詰まり
マスターテープの録音を行いAIRBOWという再生機器を製作し、それを鳴らしきるための最高の環境(逸品館・3号館)まで手に入れました。しかし、本来怠け者の私の正直な感想は「ああ〜しんど」です。高音質を突き詰めようとすればするほど、セッティングや装置の使いこなしなどやらなければいけない問題が非常に多くなり、煮詰まれば煮詰まるほどそれらの取り扱いが神経質なまでにデリケートになったからです。「たった一枚のCDをいい音で聴くため」に決して嫌いではないけれど、どうしてこれほどまで「努力を強いられなければならない」のでしょうか?絶対に納得ゆきません。こんな労苦をとてもお客様に強いることはできないとさえ思いました。実際、オーディオという趣味が広がってゆかないのは「しんどい割に音が良くならない」からだと思います。もっと簡単に言うなら「装置を買い替えるだけでは音が良くならない」からこそ魅力が薄れてきているのです。
最近のオーディオ業の売上比重が装置の買い替えから、高価なアクセサリーの買い増しへと移行しているのはその象徴でしょう。一番の原因は、すでに述べた「オーディオの目的のすり替わり」と「メーカーの怠慢」にあることは間違いありません。しかし、それ以前の問題として、「オーディオがしんどくなる原因」のほとんどが「ステレオ方式」と「CDというフォーマット」が抱える根本的限界から発生していると思うのです。マルチチャンネルに移行して気付いたのは、2本のスピーカーで部屋いっぱいに音を広げるのが難しいということ。そして、SACDなどを聞けば、CDという20年以上前の「デジタルフォーマットの限界」を痛感するはずです。それらが足枷となり、現状のハイエンド・オーディオ技術(やり方)で高音質を追究しようとすると、多くの問題が行く手を阻んでしまうのです。しかし、多くのオーディオメーカーは、未だその重大な問題に気付いていません。
あきらめようと言うのではありません。逆に、これらの問題に気付き謙虚に反省してこそ初めて、「ステレオ+CD」で心地よく音楽を聴くための「合理的な方法」が見えてくるはずです。限界が近づいているにも関わらず「理想」を追究するから、問題が生じるのです。高音質を追究するのではなく、限られた情報でいかにうまく「音楽を作れる」かが、ポイントです。スピーカーや機器の設置に「AIRBOW・WOOD-BOY」をお使い頂ければ、この言葉の意味を実感して頂けると思います。
CDはなぜ当初嫌われたのか?
楽器の音色は、「非常に繊細な音の重なりによって構成」されています。しかし、CDのフォーマットでは「アナログをデジタルに変換する際に切り捨てられる成分」が大きく、「楽音の美しさや瑞々しさが損なわれてしまう」のです。CDの音が「刺々しい」・「粉っぽい」・「デジタル臭い」と言われるのはそのせいです。それに対しレコードに収録された楽器の音色は、「多少ボケ気味になってもその美しさや瑞々しさを失わない」ため、音色重視で音楽を聴くリスナーには、未だにCDよりレコードの音質が好まれているのだと思います。
CDよりレコードを好む愛好家がまだまだたくさんいらっしゃる。この単純な事実から「CDフォーマット」には「音の美しさを完全に再現できていない」という問題があることがわかるはずです。それは、CDフォーマットの再生上限周波数が20KHzしかないことと無関係だとは思えません。
新世代デジタルフォーマットの音質はどうなのか?
新世代のフォーマットであるSACDやDVDオーディオの「音色」はどうなのでしょう?安心してください。ソフトに収録されている音声再生上限周波数が40KHzを超えると、この問題は大きく解決に向かいます。音色の再現はもちろんのこと音の広がり感、密度感、実在感など新世代のフォーマットではそれらのすべてが、CDよりも圧倒的に良くなっています。圧縮により音が悪いと思いこんでいた、DVDビデオの音声すら、PS7200SPECIALの完成によってドルビー・デジタル録音がCDとほぼ同じで、DTS録音ならCDよりずっと音が良い事が確認できたのです。
CDでは音色がやや損なわれる。
生の楽器の音は、音色が美しい。
SACD・DVDオーディオでは
音色はほとんど損なわれない。
PCM録音方式の場合、サンプリング周波数が96KHzを超え、量子化ビット数が24BITに達すると、「楽器の音色の再現」は、ほぼレコードに近くなります。そして、96KHz/24BIT以上のフォーマットで録音されたDVDオーディオを聞けば、レコードに比較してややドライな傾向はあるものの、楽器の音色の再現はレコードを超え、さらに生の楽器に近づいているように感じられるのです。
それに対しSACDは、あらゆる音楽の再現性に於いてついに「レコードを凌駕」していると断言できるレベルに達しています。(ただし、これは私のSACDの音質への大きな誤解を解いた、唯一のSACDプレーヤー[MARANTz SA-12S1]で聞いた場合だけに限られます)PHILIPSがそのメカニズムから設計したSA-12S1だけが民生機のSACDプレーヤーとして初めて、そして唯一「ついにレコードを遙かに凌駕する可能性を聞かせてくれた」のです。
SACDで聞く楽器の音色は、非常に生に近い音質です。そしてレコードよりも圧倒的に音が細やかで、もちろんチャンネルセパレーションは抜群、低音もしっかりと収録されています。60年代以前の演奏がSACD(DSD録音方式)で再収録されたSACDソフトを聞けば、「ああ、これでやっとレコードから卒業できる」と実感できるはずです。
CDの音質を完全に凌駕する新世代デジタルサウンドでは、レコード以上の「生楽器に匹敵しうる多彩な音色の表現」が実現しています。その美しい再生音を聴いていると、「音本来の美しさがそのまま再現されること」が良質な音楽再演の基本だと再認識させてくれます。もちろん、音色の再現だけではなく、レコードは言うに及ばず、CDを遙かに超える物理特性(Fレンジ・Dレンジ・チャンネルセパレーション)も達成されています。
新世代デジタルへの期待
新世代デジタルフォーマットなら、安価な機器でも従来の高額なCDプレーヤーに勝るとも劣らない「良い音」が楽しめるようになります。新しいフォーマットのソフトがもっと増えてくれば、この事実は広く知られることとなり、レコードを知らない世代にも、オーディオファンがどんどん増えてくると思います。現実に、ホームシアターで「音の魅力を初めて知り」そこから、オーディオファンへの道を進む人が少なくないことが、それを証明しています。そうなれば、オーディオはこれまでのような「マニアックで閉鎖的な趣味」ではなくなり、家族みんなで楽しめる「実用的で健康的な趣味」へと変わっていくことでしょう。
そればかりではありません。ソースが良くなると「アンプやスピーカーなどの音質差」が今まで以上に明確にわかるようになります。結果、「装置を買い替えたときの音質差が今まで以上に大きなもの」となり買い替えの判断に間違いがなくなります。「無駄な買い換えがなくなり投資すると確実に音が良くなる」これは、オーディオマニアにとって非常に魅力的な誘惑です。
音色だけではなく、音楽の運動(躍動感)の再現性が格段に向上する
音楽の三要素は?と問われて、すぐに「リズム」・「メロディー」・「ハーモニー」を思い浮かべられた人は、かなりの音楽ファンだと思います。しかし、この「3要素」よりも、もっと基本的な音楽の要素が二つあります。それは、「音色」と「運動」です。
「音色」とは、「音の鮮やかさ・音の美しさ」などと表現される、文字通りの「音の色」です。様々な「色彩」が再現されて初めて、多彩な表現が可能となるのは言うまでもありませんが、すでにご紹介したように新世代のデジタルフォーマットでは「音色」は生の楽器に匹敵するほどの「密度と精度」で再現されるようになります。
もう一つの要素である「運動」とはいったいどのようなものなのでしょう?簡単な言葉に置き換えるなら「躍動感」。それには「時間と共に変化する音のあらゆる要素」が含まれています。もちろん「音色の変化」も含まれます。しかし、運動の再現に最も重要なのが「音の広がり(音場空間の動き)」なのです。モノラルからステレオに変わったときに、音の広がりや動きが大きく改善されたのと同じように、ステレオがマルチチャンネルに進化すれば、この「音の広がり感」や「音の移動(定位感)」は大きく改善されます。幾何学にたとえれば、モノラルが1次元、ステレオが2次元、マルチチャンネルは3次元の広がりを持っています。
音の運動の再現に必要なのは360度方向への音の広がり
「運動の再現」に必要なのが「前後左右への立体的な音の広がり」です。そのためには「360度全方向から音が来ること」が重要です。しかし、モノラルやステレオでは、「前方のスピーカーからしか音が来ない」ために、リスナー後方からの音量が不十分でした。もちろんそれらの方式でも、ルーム・アコースティックやスピーカーのセッティングを煮詰め、左右や背後の壁に音を反射させればかなり本格的な「運動のイメージ」を作りだすことはできました。しかし、それはあくまでも「リスニングルームの反射音」を補助的に使った「擬似的な運動のイメージの再現」でしかない上に、「リスナー自らが部屋の残響音を調整して擬似的に背後からの反射音」を作りださなければならないため、「運動のイメージを正しく再現」するには、相当本格的な音楽知識と調整のための専門的知識が必要とされました。
これに対し、マルチチャンネル再生ではリアスピーカーが加わり、実際に後ろから音が届くため「擬似的であやふやだった運動のイメージ」が「実在感を伴う正しい運動のイメージ」へと大きく改善されます。試しにマルチチャンネルソフトの再生中にセンタースピーカーやリアスピーカーの音だけを消してみれば、それらの存在による「音場空間の広がりや実在感(楽器の定位感)の向上」が非常に大きいものであることが確認できます。
・2Chでは前からしか音が来ないので音の広がりが不足する ・心地よく聴けるエリアも狭い |
・5Chでは音は大きく広がり音場に包みこまれる感じがする ・心地よく聴けるエリアも広い |
セッティングやルーム・アコースティックの煩わしい調整が大幅に簡略化される
実際に後ろにスピーカーを置いて音を出すことで、背後からの音がリスニングルームの残響特性(リスニングルームの反射音)に依存しにくくなるのも重要なポイントです。「背後からの反射音」が「ルーム・アコースティックの綱渡り的な調整によるもの」ではなく、「リアスピーカーの音量や音質などをAVアンプで調整する」だけで簡単に再現できるようになるのです。そして、部屋の残響特性も「出来るだけデッドになるように配慮する」だけで良くなり、面倒で難解なセッティングが大幅に簡略化できます。また、リアスピーカーの存在が、オーディオ専用ルームではなくリビングのようなありふれた空間でも高音質再生を可能とします。
ステレオ方式ではどうしても避けられなかった、ステージの大きさが部屋の大きさに比例してしまうという問題も、残響成分を部屋の反射の利用ではなく、強制的にスピーカーから再現するため、たとえ4畳半でも「実寸大コンサートホールのような巨大な音場空間」が実現します。4畳半にニヤフィールド向きの小さなスピーカーを5本入れてマルチチャンネルで「交響曲」を聴けば、その圧倒的な臨場感に、「ステレオ方式」に2度と戻れなくなるのは間違いありません。
リスニング・エリアが大幅に拡大される
ステレオでは、「音場空間(サウンド・ステージ)」はリスナーの眼前にコンサートホールが存在するかのように展開されましたが、マルチチャンネルでは、コンサートの中に入ったようにリスナーを取り囲む形に展開します。リスナーを中心に「音場空間」が球形に展開するのです。さらに、マルチチャンネル再生では、「立体感」を感じるエリアが圧倒的に広くなり、それまでのように「リスニング・ポジションによる音質差の大きさ」に悩まされずにすむようになります。5本のスピーカーに囲まれたエリアの中にいるかぎり、その「包み込まれるような大きな広がり感」は変わることがありません。
ステレオ方式とマルチチャンネル方式の音質を相互比較する様々な実験で、スピーカーの数を増やせば「再現される楽器の音色の数や密度感がそれに比例して増える」という新しい発見もありました。スピーカーの数を増やし、それを正しく配置さえすれば音楽の密度は飛躍的に高まります。
自宅がコンサートホールに変わるときがやってくる
これまでのオーディオ(モノラル・ステレオ)は、「音楽の運動」を生演奏と同じに再現しきれませんでした。それが「オーディオ」という「一種独特の欺瞞的な音楽世界」を作り上げていたのです。その結果、「音楽」そのものが「生演奏と異質な表現の文化」へと変貌し、閉鎖的な世界を形成しつつありました。
しかし、新世代のマルチチャンネル方式では「音色」と「運動」の表現が「生演奏と同等になる」ために「その表現力が飛躍的に現実味(生の演奏に近づく)」を増します。ソフトも小手先のごまかしではなく「実質的な内容で勝負」出来るようになるはずです。音楽はオーディオが開花する以前と同じように、再び「本当によいものが良い」と評価されるようになるでしょう。
20世紀に犯した間違いを再び繰り返さないためにも、マルチチャンネル化への進歩によってオーディオは、「本来在るべき姿、コンサートの記録再現の手段」へと戻りつつ、それを超える新たな文化として開花して欲しいと、私は強く願います。
マルチチャンネル方式の実現で音楽の表現はそれまでに較べ遙かに「正確」・「濃密」・「簡便」になります。それは映画のスクリーンの中を転がっているボールが、スクリーンから飛び出して目の前を転がっていると感じられるほど大きな差になってあらわれることでしょう。音楽はもちろん、スポーツ中継や、ドラマ・ニュースなど、あらゆる音が「立体的」に楽しめるようになれば、私達と「高音質」の関わりは従来よりも遙かに「親密」になるはずです。「自室をコンサートホールに変えたい」オーディオファンなら誰もが見る夢が実現するときが、ついにやってきたのです!