本題に入る。繰り返すが、私が考えるオーディオ(趣味)の最終目的は、「自己啓発」と「友との出会い」である。機械いじりは、その手段にしかすぎず、それは目的ではない。
オーディオ機器という道具を通じ「音」あるいは「音楽」を語り合うことで、「仲間と交流」を計るのがこの趣味の目的である。もちろん「語り合う」のは「音楽」だけでなくても良いが、音楽をなおざりにして「機械技術」だけを語っても意味はないと考えるし、あまりにオカルトめいた「突拍子もない話題」ばかりになるのもどうかと思う。
そんな話題は決して長続きはしない。三流週刊誌をにぎわす「ゴシップ記事」と大差ない。「音楽」と比べて、遙かに内容が浅はかだからだ。
多くの人との交流を目的とするならば「会話の内容にはある程度の制限」を設ける方が良いと思う。 |
私はその制限のよりどころを「科学」に求めようと考える。もちろん「音」・「音楽」・「オーディオ」の全てが「科学」で解き明かせるとは思っていない。しかし、「定量化」・「データ化」出来ないからといって、「適当なでっち上げ」あるいは「「思いこみ」を「論拠」に人を煙に巻いてはいけない。
「話」には「確固たる根拠」が必要である。「論議」は、「説明可能な根拠」・「確認可能な根拠」に基づいてのみ繰り広げられるのが妥当だと考える。
そういう意味での「科学」だから、何も「全てをデータにしなさい」・「科学的な説明以外は受け付けない」と言いたいわけではない。
「あやふやな根拠」や「独りよがりな感覚」だけからの「思いこみ」を吹聴するのは「ご遠慮ください」と言いたいだけだ。ただでさえ「理屈が幅を利かす」世界だから、「理屈」と「屁理屈」を明確に区分しないと、オーディオは瞬く間に「不健康」に陥ってしまい、「健康的な交流」が実現しなくなる。 |