試聴では「直前」と「直後」の音を聞き比べるのが普通である。その時に使う「音源」に聞き慣れた音楽を選ぶ場合には、十分な注意が必要である。なぜなら、前に述べたように「聞き慣れた音楽」は、容易く「学習(記憶)」できるため「錯覚」の原因となる「記憶」を作りやすく「繰り返し聞くと音の差が分からなくなる」からだ。
では、音楽以外にどのような音源が「音の判定」に適しているかと言えば、私は「自然の環境音」が適していると考えている。例えば、「DELLA」というレーベルの「せせらぎ/NSG-004」というソフトや「波〜慶良間・久米島/NSG-009」などを装置の状態を変えて再生すると、その結果は「臨場感」という「生々しさ(自然さ)の差」として聞き取れる。
「せせらぎ」では、装置の音に何らかの歪みがあると「川の音が人工的」に鳥の声が「電子的」に聞こえ、歪みが減少すると川の音から「季節」が鳥の声から「鳥の感情」まで感じられるようになる。
私たちが普段「無意識」に聴いているように思える「自然の音」は私たちの記憶の奥底、「DNA」にまで「その記憶が組み込まれているのでは?」と思えるほど誰にでも「自然」・「不自然」の「聞き分け」が容易だから不思議だ。 |
さらに、このような「自然の音」は「学習」で身に付いた「比較対象」ではないし、「明確な好き嫌い」も存在しないため「後学習」で身に付いた「音楽をソースに用いた試聴」よりも装置の音の本質を鋭くフェアに暴く。
また「自然の音」は、「同じ繰り返し」が存在しない「音源」であるが故に、繰り返し聞いても「記憶」による「錯覚」を起こしにくい。「せせらぎ」を「早送り」で聞いても「通常速度の川の音」とあまり変わらないイメージで聞き取れる。それは「音波のエネルギー分布」が「非常に均一かつ平均的」で、なおかつ「一定のパターン」をもたず、「音波の均一さ」が「ホワイトノイズ」に非常に近い。
そのため「音のどの部分を切り取っても同様の波形となり」特殊な再生を行っても「通常再生と同じように聞こえる」のだ。
では「一定のパターンを持たない」という理由で「ホワイトノイズ」は試聴に使えないだろうか?
残念ながら「ホワイトノイズ」は、人間にとって「比較すべき原音のイメージが存在しない(自然には存在しない音)」ため「試聴」を繰り返しても、「望む情報(原音に忠実=どちらが生々しいか?)」を得ることができないため比較試聴には使えない。
|